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ご先祖のみなさんとCelebration!

Blessings!!


26日はおじいちゃんの13回忌です。

ちょうどNYにたった年でした。

お母さんもおばあちゃんも

わたしがNYに行ったばかりだったから

おじいちゃんが死んじゃったことを知らせてくれなかった。


朝まで元気だったおじいちゃんが

脳卒中で倒れて、病院に入院して

みんなの顔も忘れちゃって、オムツになって、

ただ表情は子供みたいになっちゃって、

家族みんなで交代で病院に泊まり看病をしていました。

左の手はぎゅっと握り締めてしまって、硬くなってく。

足をマッサージしたり色々工夫して回復を願っていました。

あるときに、おじいちゃんが「なにか書くものがほしい」みたいな動作をしたので

みんなびっくりして、紙を渡してペンを渡して

なんておじいちゃんが書くか、ドキドキしていました。

その紙には、わたし達の知らない人の名前と年齢が書いてありました。

しかも20人くらい。もっとかも?みんなの年齢は16歳とか18歳とか21歳とか24歳とか

みんな若い。意味のわからない絵が描いてあって、地図のようで

そこに点線が引っ張ってあったりしてた。

お医者さんは、
「人生のなかで一番強烈に記憶しているところに、おじいちゃんはいる状態です。」


おじいちゃんは、小学校しか出ていないのに飛行機の先生で

戦争のときに近衛隊というところにいたそうです。

天皇陛下を直接近くで守る部隊だと聞きました。

終戦間際、若い特攻隊を率いて目的地まで先導していき

自分だけ引き返してくるということが役目だったこと、

そして最後が自分の番だったこと、そして最後の日を迎える間際に終戦になったこと。


おばあちゃんの顔も、息子の顔も、娘の顔も、

みんな忘れちゃったのに、

辛くて悲しい記憶の中におじいちゃんがいるって、みんなたまんなかった。

わたしなんて、すごく泣いて、

「おじいちゃん、もうやめてよ~!お母さんが生まれたときのこと、思い出してよ~!」っていっぱい泣いた


おじいちゃんはわたしのほうに顔を上げて、

細い手で自分の身体にかかってるタオルケットで

わたしの涙を拭いてくれました。

数ヶ月たって

記憶も戻らないけど、食欲は出てきたから大丈夫、といわれて

わたしは予定通りNYに旅立ったけど、


1年後NYで大事件に巻き込まれ?大事件を起こし?(この件はまたのちほど)

急遽一時帰国した。


その日はちょうどおじいちゃんの一周忌の前日だった。

帰国したとき初めて聞いた。おじいちゃんの死。


たくさんのことが起こりすぎて、NYではおじいちゃんのこと考えることもできなかった。

だけど、守られてた。だからわたしはここにいるんだ。って成田からの帰りの車で

お母さんといっぱい泣いた。


おかあさん、おとうさん、おじいちゃん、おばあちゃんがいなければ、わたしも居なくて。

もちろん、先祖代々わたしがこの時代に生きていること自体が素晴らしくありがたいこと。

ご先祖のみなさんが生きてきた時代は、もっと過酷だったと思う。

自分を表現したり、音楽を聴いて踊ったり、仲間と抱き合ったり、

言いたいことだって言えなかったと思う。やりたいことたくさん諦めてきたと思う。

そして、おじいちゃんも含めてみんながの命がわたしの命に繋がっている。


いつもロフトで踊ってるとき、

「わたしを通して、アンセスター(先祖)のみなさん踊ってくださ~い!」って言って踊ってる。


わたしを通して、たのしんで

わたしを通して、踊って、

わたしを通して、愛を表現してほしい。


踊ったり、騒いだり、何か悪いような気がするかもしれないけれど、

これは先祖供養の儀式です!?



わたしにとっては、ヨーガや音楽に心身をゆだねることも、

絵を描いたりすることも、

行動すべてが、Celebrationです。きっと。


本来フリーである魂を

人や時代のせいにして生きてたらもったいない。


わたしたちは、すべてを選択できる時代に

生きさせてもらっているんだもん。


ご先祖の生まれてくる順番が違ってただけでわたしたちの

生き方そのものが、制限されているかもしれない。


ありがたいなぁ。本当に(涙)


毎日毎日本当にありがたい。

どうもこうもないくらいです。言い訳できない。




おじいちゃん、大好き。



わたしが、外孫っていうことで、

着物を作るとか作らないとかでもめてたとき、

話に入ってないおじいちゃんが、こそっと

「まことは、友子(娘)が産んだ子だからかわいいよ。」って

言ってくれたことずっと忘れない。


うえーん。涙



一周忌が済んで

数ヶ月ののちに、またわたしはNYに旅立つ。

また七転八倒あり、もう再起不能になりそうなことなんて数えられないくらいあった。

なんだけど、

寸でのところで守られて、(もう少し早く救ってほしいことも多々アリだったけど・・)

導かれて、まぁ幸せになっていくんだ。and continued..^^



こんなに生きてるってコトに感謝したことない。

毎日毎日マックスです!



読んでくれてありがとうございます。



みなさんと同じ時代に生まれて、一緒にいろんなことを共有できてうれしいです。




Love Saves the Day.

Makoto
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by makotokozu | 2011-12-19 16:40

世界を癒す業

Blessings Everyone!



このごろ、子供のことで気になります。


みんなどんな風に育ってきた?


生い立ちは責めることができないとブッダはいいました。


そもそも
わたしだって、大きくなったらプロレスラーになってお父さんを倒す!

打倒・お父さん!みたいな幼少期を過ごしました。


終いには、こんなにかわいがられてないんだから

もらわれっ子→宇宙人?なんじゃないか?ってとこまで行ってしまいました。あはは

子供のときの記憶って、本当に繊細で

たとえ4歳、5歳に起こったことでも、

その時の状況や人の表情までちゃんと覚えてるんです。

だって、忘れているのは自我の部分です。


魂はしっかり覚えてる。


だからこそ自我は嫌な思い出は蓋を閉めてしまう。


一見、無関係と思える 今現在抱えるトラブルも

実はその部分に蓋をしているからってことがある。


わたしの怒りの根源は、正にお父さんとの確執でした。


そこに光が差すまでのわたしの状況は、


いつもいつもどこかでイライラ、怒ってる。

何に怒ってるか自分でもわからない。。。。っていう

中学校でなりそうな第二次反抗期がずっと続いてた感じかな。


大人でもね、そういう人いるよね。


そんな人にあうもん。

昔のわたしです。


お元気ですか?



ここに光をあてるだけ、

対峙して、とか、向き合って、とか

そんなことではないんです。

ただただ、

自分を知っていく作業をするだけなの。


どんなことが好きで、嫌いで、

わたしはこんなときどう思うのか?

思ったように行動できてるか?

昔にもこんな状況があったなぁ~とか、

あんなこと言っちゃったなぁ、いや!思い出したくない!

ってなっても目をそらさない。

あのあと、どうしてるんだろう?

どうなっただろう?って

身内にだってそういうことある。

身内だから許してもらえてるなんて思わないで。

子供たちも蓋をしてしまってるかもしれない。

わたし達が本当の大人になっていないために、

子供達が大人になって

たくさんの心の扉を閉めてしまってるかもしれない。

敏感になったら傷つくからって。


最近気になるのは、過保護すぎるのも


結局は子供達の意見を、

行動を、阻止している。


子供を守ろうと、余計な時間を取らせまいとする親心が

かえってダメにしてしまってることだってある。


親だけじゃなく、じじ、ばばもそう。

先日は、そまがケーキにろうそくを並べてたの。

横から大人たちが「バランスが悪い」とか「それはこっちに!」とか

結局そまのやりたいように、できない。

はじめはスイスイと3~4本リズミカルに置いてたのに

ここに置いたら、何言われるかな?って気にしだしてた。


一時が、万事。これなんだよ。


大人の都合。バランス?!かんけーねぇ!って。

もう、カンベンしてほしいなぁ。

「いいんだよ、そま。上手にできてるよ、迷うことないよ。」って後ろから言ったけど。

もう、できないの。自信喪失。

これが、日常茶飯事のこの世界。

大人は、大人の意見が唯一上等な意見だって勘違いしてる。





結局行き着くところは、


本当の自分は、なんなのか?どんなことができるのか?

生きるとは、どういうことなのか?

その生きるという本当の知恵、本当の力を養えないで大きくなるの。


愛からの行動なのか?

それとも、感情的になってる行動か?

大人の都合で行動してるか?

子供達って本当に敏感なんだ。


かつて、わたし達がそうであったように

感じやすく、大人よりも純粋であるがゆえに見えすぎてしまうこともある。


だけど、どんなに遠回りしても、

必ずその転機はやってくる。


挫折や、絶望、そまを産んで母親になり、ヨーガや瞑想、


どんどん純粋なこころに触れるようになると、


認めなくてはいけないことがでてきた。

わたしもお父さんとお母さんに

「愛されていた。」事実を認めるという作業です。


自我によって見えなくなっていた。

だって、怒りこそ、わたしの原動力だったから。

その感情認めたくなかった。

だって、それを認めたらわたしは何を原動力に動けばいいの?

でも、でも、

どんどん掘り下げてくだけ。

それは、静寂の中だけで行われること。


ジャッジしなかった。泣いて泣いて、

ただ、魂の記憶が再生されるまま、

ただ傍観者になって、わたしの思い込みを消し去っていった。


この作業に2年もかかった。だけど、


それからわたしの原動力は怒りに代わって「愛」になったんだ。




そして、もし、




自分のやりたいことに情熱を賭けているとしたら

子供達はプラウドするとおもう。

それを子供達に伝えよう。

一緒にいられない時間、

わたしは、こんなことを考えながら、こんなことをしているって。


わたしとそまは、本当にいい関係です。

わたしの両親とできなかった関係を築いている。


 「マミーのミッションは、スプレッドラヴなのよ~!」って言ってる。

 「毎日神様に、世界にスプレッドラヴできるように、役に立たせてくだせぇ~、

 その力を授けてください、ってお願いしてるんだよ~。」

 

 
と、かなりリアルに言ってるので、


そまもマミーのために一緒にお願いしてくれてる始末です。

  「かむながら~に生きられますように。」(かみさまおかませです~みたいな意)



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  どんな境遇にあろうとも、自足することを学び知ったからです。
                                     
 一切のことにおいて、あらゆる境遇のもとで、

 飽きるにも飢えるにも、満ち溢れるほど持つにも乏しさを忍ぶにも、

 その秘訣を学び取りました。        
                                   フィリピ4章-11、12



パウロは、すっごく裕福だったときもあったり迫害されたりめちゃくちゃ貧乏もしました。

だけど、どんな豊かな環境であれ、貧乏な境遇であれ、パウロは生きる力、秘訣を学び取りました。

って言ってる・・・と思うんです。

どんなに親に保護されていたとしても、いずれは

一人で生きていかなくてはならない。

お金や物質をたくさん持っていたとしても、それはいずれはなくなってしまうもの。

学歴だって、結局生きる秘訣、生きる力になりえないことだってある。

ってか、これからの子供達の生きてく世界はタフですよ。


生きる力、生きる秘訣をどうやって教えるか?

どうやって、子供達が学び取るか?

そこをね、

みんなと考えて生きたいなぁ~って思うんです。


こどもは、未来の地球人。


みんなで育てていけたらいいね。



わたし達自身を癒し、子供達が癒えていく。

そして世界が、地球が癒えていくという、素敵なサイクル、くるくるくる~☆

Heal the World,

Heal the Earth,

Love Saves the Day☆

Makoto
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by makotokozu | 2011-12-07 19:26